第15話 雨の終わり
拾われなかった弾丸は、拾われなかった映像へ繋がる。
二本の線は一本に束ねられ、今夜、決着の雨が降る。
本編
旧駐車場の外れ、フェンス越しの防犯カメラは、意外なほどあっさりと生きていた。
ケーブルの被覆は古く、端子は錆びているのに、赤い小さなランプだけが淡く点滅している。
「……録れてる?」
未来が、息を詰めた声で言う。
「“録れてる”だけじゃ足りない」
九重は淡々と返した。
「“必要な夜”が録れてるかどうか」
県警本部の解析室。
真壁はヘッドホンを片耳だけ外し、画面に顔を近づけていた。
「音は雨で潰れてます。でも――」
真壁は指先でコマ送りを止める。
「このフレーム、ここ。人影が走ってます」
画面の隅。街灯の輪郭が滲む中、フードを外した男が、駐車場の白線を斜めに横切っていた。
その手には、小さく黒いものがある。腕の振りと一緒に、ほんの一瞬だけ光った。
「……撃ってる」
佐野が低く言う。
「撃った“直後”が分かる」
九重は画面の次のフレームを指さした。
「跳ねた。路面で擦れた。排水溝へ落ちた。……拾われなかった弾丸の“経路”そのまま」
「顔は?」
宮内が短く問う。
「角度が悪い。けど――」
未来が言葉を継ぐ。
「服のロゴと、靴の反射材。あと、ワゴンのテールランプの形……第13話で接触した“黒いワゴン”と一致しそう」
「弾頭の線条痕も出た」
真壁が別の紙を差し出す。
「押さえてる密売ルートの拳銃と、同系統の痕。完全一致までは“本体”が要るけど、矢印はもう出てます」
「本体は、“押さえ”になる」
九重は静かに頷いた。
「殺しの証拠は“決定打”になる。……二つをセットで、やっと立件できる」
雨が強くなったのは、その夜だった。
川沿いの古い倉庫群。水たまりに街灯が割れて、暗い波紋がいくつも広がっている。
張り込みの車内で、佐野は無言のまま九重の横顔を見た。
彼女はフードを被らず、窓の外だけを見ている。雨が頬を濡らしそうなのに、瞬きの回数すら変わらない。
「……来るか」
佐野が声を落とす。
「来る」
九重は短く答えた。
「弾丸が残ってた。映像も残ってた。……向こうは、取り返す」
しばらくして、ライトを落とした黒いワゴンが、倉庫の影に滑り込んだ。
運転席の男が降り、周囲を見回す。第13話で“目が笑っていない”笑いを作った男だ。
「――動く」
宮内の無線が短く鳴った。
男は倉庫の脇へ回り、積み上げたパレットの裏に手を伸ばす。
その指先が、黒い布に包まれた長細いものを引きずり出した。
「銃だ」
真壁が息を呑む。
「押さえる」
九重は淡々と言った。
「今」
雨を裂いて、警察官たちが動く。
ライトが点き、無線が飛び、靴音が水たまりを割った。
「埼玉県警だ! 動くな!」
宮内の声が倉庫に反響する。
男は一瞬だけ固まった。
だが次の瞬間、布を剥いで拳銃を掴み、雨の中へ身を投げる。
「撃つな!」
佐野が叫ぶ。
銃口が、躊躇なくこちらへ向いた。
引き金が絞られる寸前、九重は一歩だけ前へ出る。
「やめろ」
九重の声は低かった。
「それを撃った瞬間、あなたは“銃器密売”じゃ終わらない。――“私立探偵殺し”の実行犯になる」
男の目が一瞬揺れる。
だが揺れは、引き金を止めるほど長くは続かない。
火花のような閃光が走った。
銃声が雨に潰れ、倉庫の壁に鈍く返る。
九重は、すでに腰の拳銃を抜いていた。
銃口は迷わない。狙うのは、身体ではなく“撃てなくなる位置”。
「――Aで」
九重は、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
次の瞬間、九重の銃が火を吹いた。
男の手元が跳ね、拳銃が水たまりへ落ちる。金属が跳ね、雨音の中に鋭い音が混じった。
「武器を捨てろ!」
佐野が間合いを詰める。
男は膝をつき、片手で手首を押さえながら息を荒くした。
そこへ、背後の影が動く。倉庫内から、もう一人。逃げ道を作る役だ。
「二枚目……!」
未来が叫ぶ。
影は銃を持っていた。
だが九重は躊躇しない。視線だけで距離と角度を測り、佐野の位置を外す。
もう一発。
銃口が上へ弾かれ、弾は倉庫の鉄板に吸い込まれて火花を散らした。
「確保!」
宮内の号令と同時に、数人が雪崩れ込み、影を押さえつける。
雨の中で、手錠が鳴った。
濡れた金属の冷たさが、今夜の終わりをはっきり刻む。
「……これで、揃ったな」
佐野が息を吐く。
「揃った」
九重は銃を下ろし、雨に視線を戻した。
「銃器密売の“本体”。弾頭の線条痕。防犯カメラの映像。走りながら撃った状況。……そして、東雲の死に繋がる一本の線」
「殺しの立件も、いける」
真壁が震える声で言う。
「いける形にした」
九重は淡々と答えた。
「東雲が拾えなかったものを、私たちが拾っただけ」
未来が、雨の中で小さく笑った。
泣きそうな顔で、それでも前を向いている。
「……未解決、じゃなくなるね」
「ええ」
九重は、ほんの一瞬だけ表情を緩めた。
「雨は、終わる。……終わらせる」
テールランプの赤が、遠ざかるパトカーの列に滲む。
雨に濡れた街は静かだった。だが静けさの底には、確かに“解決した重さ”が沈んでいた。
未解決の街。
その名前は、今夜だけ、ほんの少し軽くなる。