第5話 雨の影、動く
張り込みの翌朝。
残されたのは、わずかなタイヤ痕と、途切れた電波の記録――。
“影”は、九重班より一歩先を走っている。
本編
雨の匂いが残る朝だった。前夜の張り込みで冷えた身体を温める間もなく、九重は県警本部の会議室に向かっていた。
「……おはようございます」
真壁がパソコンを抱えて駆け込む。目の下にはクマが浮いている。
「映像、朝イチで確認しました。昨夜の貨物トラック、四時過ぎに別の場所でも目撃されています」
「どこ?」
「宮前町の工場裏です。倉庫街から南へ、およそ三キロ」
九重はホワイトボードの地図に視線を移し、ルートを指でなぞった。
「……逃げてるというより、運んでいるのね」
そこへ、班長の宮内がコーヒー片手に入ってきた。
「おはよう。昨夜の件、県警も一枚岩じゃなくてな。強行踏み込みに否定的な声もある」
「違法性がまだ表に出ていませんから」
九重が静かに答える。
「でも、動いている。彼らは昨夜、何かを“隠す”ための作業をしていた」
宮内が唸り、椅子に腰を下ろす。
「真壁、例の通信は?」
「はい。倉庫内部から発信されたスマートフォンの電波ですけど……」
真壁はモニターを操作した。
「送信先は海外の匿名サーバを経由していて、完全には追えません。ただ――」
「ただ?」
「画像の縮小データが一部残っていました。照明の反射から推測すると……金属製の物体です」
九重の表情がわずかに変わる。
「金属……銃器、ね」
「可能性は高いです。箱の扱いも異様に慎重だったので」
午前十時。九重と佐野は倉庫街へ向かった。雨は上がっていたが、アスファルトの黒さは夜をまだ引きずっていた。
「あの白シャッターの倉庫、今朝はもう無人だ」
佐野が警戒テープをくぐりながら言う。
「内部は……がらんどうか」
九重はライトで照らした。
昨夜あれほど慎重に運び込んだはずの箱は、影も形もなかった。
「逃げ足が早すぎる……」
「九重。こっち。床にタイヤの跡」
佐野が指す先には、昨夜のトラックのものとは違う幅のゴム痕が残っていた。
「……二種類の車両。積み替えている」
九重の声は低く鋭い。
「昨夜運んだ箱、本命はこっちで移送したのよ」
「つまり、俺たちは“見せかけの作業”を見せられていたわけか」
佐野が帽子を深くかぶる。
「思った以上に組織的だな、相手」
昼過ぎ、本部に戻ると未来が待っていた。
「あ、聡美! ちょっと来て」
「どうしたの?」
「被害者の私立探偵、覚えてる? あの人のデスクから、新しいメモが出てきたの」
未来が差し出した手帳には、殴り書きの文字が並んでいた。
「“雨の夜に動く貨物”、“積み替え”、“銃の噂”……”裏側に別ルートあり”」
「……やっぱり追っていたのね。彼は」
九重は息を吸う。
「しかもこれ、日付が殺害される三日前。
つまり――」
「本当に“核心”に近づいていた、か」
佐野が低く呟いた。
「聡美、もう一つある」
未来がページをめくる。
「“次は北だ”」
「北?」
会議室の地図を思い返す。倉庫街は市の南端。 もし積み荷を北へ移送するのなら――
「……第三工業団地。
輸送用の大型倉庫がいくつもある」
「しかも人の出入りが多くて紛れやすい。隠すなら絶好の場所」
未来が続ける。 「探偵の言う“次”がそこなら……私たち、完全に後手に回ってる」
夕刻。窓の外は再び小雨が降り始めていた。 九重は濡れた窓ガラス越しに街を眺めながら、静かに呟いた。
「影が動いた。 ……私たちより先に」
「どうする?」と佐野。
「決まってる。“影”の次の一歩を読むわ」
その言葉は小さかったが、確かな芯があった。 やがて訪れる銃撃戦の予兆が、静かに、その声の奥に滲んでいた。
未解決の街――物語はゆっくりと、しかし確実に核心へ向かっていく。