第7話 濡れた証言者
“雨の夜に誰かを見た” と語る人物が現れる。
私立探偵・東雲が最後に追った線と繋がったとき、九重はある重大な矛盾に気づく。
本編
県警本部に戻って数時間。九重は東雲の「R-FILES」を机に広げ、ページを黙ってめくっていた。
雨の日の記録だけが繋がり、倉庫街の地図の特定区域に集中していく。
「九重さん」
真壁が慌て気味にドアを開けた。
「ちょっと……変な人が来てて。あなたに話があるって」
応接室に向かうと、濡れたブルゾンを着た中年の男性が落ち着かない様子で座っていた。
雨は降っていないのに、彼の肩だけが妙に湿っている。
「……あなたが九重さん?」
「ええ。お話を伺います」
「オレ、見たんだよ。あの夜……雨ん中でさ」
男性は視線を泳がせながら話し始めた。
その声には、確かに“記憶を引っ張り出す苦さ”があった。
「探偵の人……ほら、テレビで言ってた。殺されたって」
「東雲さんのことですね」
「そう、その人。オレ、あの夜に駅前の高架下で会ったんだよ」
「会った?」
「追われてた。後ろをずっと気にしてた。雨で顔がよく見えなかったけど……」
「“若い連中”に囲まれてた」
「若い……?」
九重はメモを取る手を止めた。
「ええ。三人。フードかぶって、どいつも似た背丈で」
「倉庫街で見た作業員風とは違う?」
「もっと軽い感じ。だけど……危ない匂いがした」
九重は静かに息を吐いた。
銃密売組織の構成員は、もっと年齢層が高いと踏んでいた。
若い三人組──想定外だった。
「それで、東雲さんはどうしました?」
「駅の方に走ったよ。すげぇ雨で……オレも追えなかった」
「あなたはその後、なぜ警察に?」
「いや、テレビで見て……怖くなって」
男性はそこで言葉を濁した。
九重は席から立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。とても重要な証言です」
男性は驚いた顔をし、それから安堵したように肩を落とした。
応接室を出ると、真壁がすぐ横に立っていた。
「九重さん……信じます?」
「信じるかどうかじゃない。必要なのは“つながり”」
「つながり……?」
「東雲が雨の日だけ追っていた相手。倉庫街のトラック。そして若い三人組」
「三つ巴……というか、勢力が複数?」
「まだ断定はできないけれど」
九重は歩き出しながら続けた。
「一つだけ確実なのは──東雲は“誰かに追い詰められていた”」
「銃密売組織と直接関わっていた可能性も……?」
「十分にある」
その夜。九重は本部の会議室で、白鳥未来・宮内・真壁らと再び資料を広げた。
「若い三人組が関与している可能性が出てきたわ」
「素人の犯行にしては、追跡行動が手際良すぎる」と未来。
「中間業者……いわゆる“使い走り”かもしれないな」と宮内。
九重はホワイトボードに三角形を描き、それぞれに名前をつけた。
「A:銃密売組織本体」
「B:運送会社ルート」
「C:若い三人組」
それらは東雲の記録に一本の線でつながり、ただし線の途中には“雨”と書かれた小さな丸が置かれた。
「雨の日にだけ動く“何か”がある」
「何かって……物資の受け渡し?」
「あるいは、人物の移動」
九重は独り言のようにつぶやいた。
会議が終わり、それぞれが退出していく中。
九重は机に置いたコーヒーを手に取ったが、口をつけなかった。
「東雲さん……あなたは何を見て、どこまで辿り着いたの」
窓の外に、夜の街の光がぼやけて滲んだ。
雨は降っていない。
けれど、何かが静かに“濡れ始めている”予感があった。