第8話 影の交差点
“濡れた証言者”の言葉は真実か。
九重は東雲が最後に走ったという高架下を訪れ、三つの影が交わる瞬間を目撃する。
本編
翌朝。九重は証言に出てきた“高架下”へ向かった。
雨の気配はないが、路面にはまだ薄く湿りが残っている。
「……ここを、東雲さんは走ったのね」
高架の柱に触れると、ざらついた冷たさが指先に残った。
「追われていたとすれば、どの方向から……」
九重は地面の傾斜と排水口の位置を確認し、足跡のつき方を想像する。
雨の夜なら、逃げた者と追う者の影はもっと鮮明に伸びていたはずだ。
「……三人組、ね」
つぶやいた瞬間、背後から足音がした。
「ここ、来てたんですか」
振り返ると佐野がいた。
「あの証言、どう見てる?」
「半分は本当、半分は“盛ってる”な。ああいうタイプの話し方だ」
「でも、『追われていた』という部分だけは一致してる」
「ああ。その線は否定できねえ」
二人が現場を見ていると、高架下の奥で人影が動いた。
薄いグレーのパーカー。フードを深くかぶった若者。
「……あいつ」
佐野が目を細める。
「例の三人組の一人の可能性がありますね」
「追うわよ」
九重は一歩踏み出し、影の後を追った。
だが、若者の動きは軽く、迷いがない。
振り返りもせず、路地裏へ滑り込むように姿を消した。
「逃げ足が速い……素人じゃないわね」
「連中、やっぱり“訓練されてる”のかもな」
佐野が息を整えながら応じた。
県警本部では、真壁がR-FILESと過去の未解決事件を照合していた。
机の上に並んだメモには、同じ場所が何度も赤くマークされている。
「……やっぱり、ここだ」
真壁が唇を噛む。
「倉庫街の北端。“雨の日だけ”車両の出入りが集中してる」
そこに白鳥未来がコーヒーを片手に現れた。
「真壁くん、また徹夜? 身体持たないよ」
「いえ……気になって眠れなくて」
「ねえ、これ見て。一般の配送ルートと、“雨の日だけ”のルート、重ねたんだけど――」
未来がタブレットを差し出す。
案の定、同じ一点が交差していた。
「……高架下」
「そう。東雲さんが走った場所。そして、若い三人組が現れた場所」
未来の声が少し低くなる。
「これ、偶然のはずがないよね」
午後。倉庫街へ戻った九重は、佐野と無線で連絡を取りつつ周囲を歩いていた。
雨雲がゆっくりと広がり、空気には湿りが漂い始めている。
「九重。気象庁の更新。そろそろ降るぞ」
「動くなら……雨の“直前”。連中の癖よ」
九重は倉庫の出入口に目を向けた。
薄暗い影が伸び、風にかすかに揺れている。
「佐野、未来、真壁。全員、現場近くで待機を」
「了解」
「了解」
「……了解です!」
そのとき、九重の視界の端で、別の影が動いた。
倉庫の裏手。
若い三人組のうち、さきほど高架下で見た若者が再び姿を現したのだ。
「……やっぱり来た」
「九重、慎重に行けよ。相手が何を持ってるか分からん」
「心得てる」
九重は倉庫の壁沿いに歩き、若者との距離を詰めていく。
風が吹き抜け、遠くで雷の気配がした。
そして、若者は振り返った。 フードの奥で光る目が、一直線に九重を捉える。
「……アンタ、“あの探偵”の仲間?」
若い声が、雨の気配を含んで低く響いた。
「警察よ」
九重は迷いなく答えた。
「あなたたちが東雲さんを追っていた理由、聞かせてもらえる?」
「理由? そんなの――」
若者は口角をわずかに上げた。
「アンタらがいちばん知ってるんじゃねえの?」
その瞬間、雨がポツリと落ちた。
まるで合図だったかのように、倉庫の奥から複数の足音が響き始める。
「……来たわね」
九重は無線に指をかけた。
「全員、配置につきなさい。敵が動き始めた」
雨脚が強まり、倉庫街の影がざわりと揺れる。
未解決の街で、三つの影がついに交差し始めた。