第10話 沈黙のデータ
東雲探偵が残した“最後の痕跡”。
それは倉庫街の片隅で密かに眠り続けていた。
発見と解析を経て、事件は新たな局面へ踏み出す。
本編
倉庫街の雨は上がり、路地の水たまりには薄い光が映っていた。
九重は倉庫裏の排水溝の前でしゃがみ込み、濡れた鉄網に手をかけた。
「……ここだけ、泥が薄い」
佐野が横から覗き込む。
「雨量考えたら、もっと汚れててもいいよな」
九重は指先で泥を払った。
その下から、小指ほどの黒い物体が姿を見せた。
「……USBメモリ?」
「東雲さんのかもしれない」
九重は慎重にビニール手袋越しに拾い上げた。
「警察に持ち帰るわ。中身が残っていればいいけれど」
県警本部。未来のデスクのモニターには復旧ソフトが走っていた。
横では真壁がログを確認している。
「データの一部、破損してますね……」
「復元できる?」
「がんばります。東雲さん、これを落とすつもりじゃなかったはずです」
USBは雨に浸かり、内部基板に微小な腐食があった。
通常なら読み込みさえできない可能性が高い。
「……解析完了、一部映像ファイルです」
真壁がマウスを動かすと、モニターに薄暗い倉庫内部の映像が現れた。
「これ……東雲さんが撮ってたの?」
「撮影日時は、死亡推定時刻の前日深夜」
「やっぱり、追っていたのね。あの三人組と密売」
映像の奥で、三人の若い男がトラックから箱を下ろしていた。
会話はノイズが混じり聞き取れないが、動きははっきりしている。
「……銃だな、これ」
佐野が画面を見ながら呟く。
「密売の証拠としては強い。けど……」
「殺人には繋がらない」
九重が続ける。
そう、殺人を立件するには“意図”と“行動”の証明が必要だ。
しかし映像の最後、決定的な一瞬が映っていた。
カメラが別の方向に向けられ、倉庫の出口を捉えたのだ。
「……これ」
未来が息を呑む。
「東雲さん、誰かに気づいて……走り出してる?」
影が一つ、別方向へ跳ねるように動いた。
その直後、映像は途切れる。
「これ、追われてたってことですよね……」
「可能性は高いわね」
九重の声は低い。
真壁が手元の資料と照合しながら言った。
「位置情報……推定だけど、これ“北端の倉庫”です」
「第9話で三人組が逃げ込んだ区画と一致するわね」
「東雲さんは“核心”に触れてたんだ」
未来がモニターを見つめながら呟く。
「だから殺された。……そう考えるのが自然」
部屋の空気が静まり返る。
九重はゆっくり立ち上がった。
「行きましょう」
「どこに?」
「北端の倉庫。東雲さんが最後に辿り着いた場所へ」
決意の硬さを帯びた声に、未来と佐野、真壁が頷いた。
東雲探偵の沈黙は破られた。
事件は、次の段階へと進んでいく。