第12話 揃わないピース
証拠はある。だが、足りない。
九重は“今は踏み込まない”という選択を下す。
本編
取調室の前で、九重は立ち止まっていた。
曇りガラスの向こうに、若い男の影が映っている。
「……行かないのか」
佐野が小さく声をかけた。
「行かない」
九重は即答した。
「今は、まだ」
佐野は一瞬だけ眉を動かしたが、それ以上は何も言わなかった。
長い付き合いだ。彼女が“止まる”ときの意味は分かっている。
「銃器の映像はある」
九重は淡々と言葉を並べる。
「密売の線も、ほぼ黒に近い」
「でも――」
佐野が続きを促す。
「殺しと繋がらない」
九重は視線を落としたまま言った。
「銃が“あった”ことと、銃が“使われた”ことは違う」
廊下の蛍光灯が低く唸る。
夜勤明けの本部は、音だけが無駄に鮮明だった。
「東雲は、そこまで掴んでいた」
九重は静かに続けた。
「だから殺された。でも、それを“証拠”として残せなかった」
「……だから、今は動かない?」
「違う」
九重は顔を上げる。
その目は、すでに次を見ていた。
「“泳がせる”」
「銃器だけでも押せる。でも、そうしたら殺しは闇に沈む」
「私は、それを選ばない」
遠くでドアが閉まる音がした。
取調室の灯りが、一つ消える。
「次は?」
佐野の問いに、九重は迷わなかった。
「雨が降る夜」
「必ず、また動く」
「その時――全部、揃える」
廊下の先へ歩き出す九重の背中を、佐野は黙って見送った。